守護霊と死後の世界

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今から15年くらい前になりますが、車の中で嫁と口論してる時に突然嫁の人格と口調が変わり、それが嫁の守護霊との初めての会話でした。

それまでは霊や死後の世界は半信半疑でしたけど、実際に会話をするとそれは確信に変わりました。

霊や死後の世界は信じてる人と信じてない人がいると思いますが、守護霊から聞いたことをいくつか伝えたいと思います。

まず、いつでも話しが出来るわけではなく、急に守護霊が嫁に憑依して話しが始まるので、こっちから話しを始めることはできません。

初めは夢の中で話しをしようとしたみたいですけど、僕は邪念が多くて夢の中では話せなかったそうです。

守護霊は一人ではなく何人か付いてるみたいで、僕は三人の霊と話しをしました。

一番よく話しをしたのが前世で嫁に世話になったっていう、しのさんっていう女の人の霊で幕末の京都で嫁と一緒に仕事をしてて、その時にいろいろ世話になったそうで、心臓が悪くて20代前半で亡くなったそうです。

僕と嫁はその時嫁が働いてた店で知り合ったみたいなんですけど、当時は身分の違いで自由に結婚が出来なかったみたいで、今生で結婚するために嫁が僕を見つけてくれたそうです。

出会いは嫁が滋賀県生まれで大阪の枚方市で一人暮らしをしてた時に、僕が当時働いてた枚方の美容室での、お客さんとして知り合ったんですけど、僕はもともと名古屋出身で京都に親の仕事で引っ越して来て、初めは大阪市内で働いてたんですけど、見えない縁っていうものは確実にあるんですね。

嫁の前世での名前は「あや」で自分の名前と他に話しをした二人の男の人の名前は聞いてません。

霊に性別があるのかどうか解りませんが、最後に生まれた時の性別を継承してるみたいです。

何でも教えてくれるわけではなく、必要のないことは教えてくれません。

死後の世界はこの世とは次元が違うそうで、時間の概念も無いそうです。

この世で生きている時は時間があるので、時間が無い世界が想像できないですけど、こっちの世界で何十年経ってから死んで死後の世界で先に亡くなった人と会っても、死後の世界では時間が進んでないので、先に亡くなった人には久しぶり感は無いんでしょうね。

ちなみに、亡くなった芸能人とか自分に関係のない人には死んでも会えないそうです。

あの世からこっちの世界は全て見えてるそうで、トイレの中でも見えてるって言ってました。

誰も見てないから悪いことをしようと思っても、見てる人は必ずいるので悪いことは出来ないですね。

人の考えてることや先の未来もある程度見えてるみたいで、僕が美容師の仕事が出来なくなることも言われましたけど、未来は自分の行動で変わるので、自分次第で未来は大きく変わります。

死んだ時に、生まれて死ぬまでの人生の全ての出来事をビデオのように再び見ることになるそうなので、死んでから恥ずかしい行いは避けたいものです。

今の人格は生まれてきて育った環境で作られたものなので、どんな悪い人でも死んだら人格が変わって賢くなるそうです。

生まれてくる時も自分で、どのような人生を歩むか決めて、親も自分が決めて生まれてくるそうです。

この世に生まれてくるのは自分の魂を成長させる為で、悪いことをして死ぬと次に生まれてくる時は辛い人生を自分で選ぶので、人を殺すと来世では自分も殺される運命を辿るそうです。

僕は自分勝手なとこを直すのも生まれてきた目的の一つで、前世ではそれなりに立派な人だったけど、前世よりも退化してるって守護霊に言われました。

自分の守護霊とは話したことないですけど、守護霊は自分の行いによって離れていったり入れ替わったりするので守護霊に申し訳ないです。

霊界は何層にもなっていて、魂のレベルによって行くとこが変わるので、この世で地位や名誉を掴むより死んだ後に上の世界に行きたいですね。

最後に、僕は昭和天皇の決断次第で太平洋戦争は回避できたんじゃないかと思ってたので、そのことを守護霊に聞いたらを、戦争のような大きな出来事は起こるべきして起こってるから、個人がどうこうして止めることは出来なかったって言ってました。

いろいろ教えてもらって、お世話になった守護霊ですが、かれこれ5年くらい話しはしてません。

話さないといけないことが無くなったのか、愛想つかされたのかは解りませんが、こっちから話しが出来ないのは寂しいものですね。

 

 

交通事故

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交通事故は誰にでも起こりうる事ですが、初めて交通事故にあったのは小4の時で、横断歩道を自転車で横断中に右折してきた車にはねられました。

救急車で病院に運ばれたのですが、特に怪我もしてなかったのでその日は家に帰りました。

その日の晩に吐いて別の病院でレントゲン撮影をしたら首の骨に異常があり、一ヶ月ほど入院することになりました。

警察官が病院に事情聴取に来たのですが、当時は自転車は降りて横断歩道を渡るようになってたみたいですけど、誰も自転車を降りて渡ってる人なんかいませんでしたね。

加害者は若い男の人だったんですけど、当時としては最高級の自転車を買ってもらいました。

その自転車は高校生の時に駅で盗まれるまで乗ってたので、一番長く乗ってましたね。

高校の時はホンダのMBX50っていう原付バイクで7回コケましたけど、全て自損事故で大した怪我は無かったです。

社会人になってからホンダのNSR250Rに乗ったのですが、3回コケました。

1回は自損事故であとの2回は車と絡む事故で修理代は相手から出たのですが、そのうち1回は無免許だったので修理代は半分しか出なかったので半分の修理代で無理やり直しました。

事故の時に無免許でも事故扱いにせず、示談にすれば無免許の罪は問われないです。

その後はトヨタのレビンに乗ってる時に左折時に横断歩道を走行中の自転車のおばちゃんと接触しました。

幸い大した怪我ではなく自転車の弁償で済んだのですが、自分が加害者になるとは思いもよりませんでした。

そのレビンは12年乗ったのですが、スピードメーターが動かなくなり、古い車で修理が出来ず車検が通せなくなったので廃車にしました。

次は事故ではないんですが、コンビニの駐車場でローレルを当て逃げされました。

隣にクレスタが止まってたのを覚えてたので、警察に行って犯人を見つけてもらいました。

相手のクレスタは車検切れの車だったのですが、保険には入ってたので修理代が出て良かったです。

その後、同じコンビニの駐車場でアクアと接触事故を起こしたのですが、僕の前方不注意が原因で8:2の割合で2割しか修理代が出なかったのですが、バンパーのキズをその金額で直せるだけ直してくれって頼んだら綺麗に直してもらえたので良かったです。

次は仕事帰りに信号待ちで止まってたら、軽自動車のおばちゃんがよそ見をして追突されたのですが、お互い怪我も無く古い車なので修理の見積もりが44万円に対して30万円しか保険金が出なかったのですが、中古の部品を使って何とか修理できました。

相手の車は廃車にするって言ってたので軽自動車は事故したら弱いですね。

最後はつい最近、出勤中にまた信号待ちで追突されたのですが、相手の車は無傷で僕の車も目立たないキズなので、二度あることは三度あるっていうし今回は保険金を貰って修理せずにおこうと思ってるのですが、交通事故の加害者は明日は我が身って感じで交通事故には気を付けて運転したいと思います。

学園祭

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学生の時は高校や大学の学園祭によく行きました。

自分の学校はバンド演奏は当時流行りのヘビメタが多くて良かったんですけど、模擬店はカップラーメンを売る「ラーメン喫茶」が多かったですね。

高2の時に教室でお化け屋敷の模擬店をやったんですけど、教室を暗闇にして段ボールで壁を作って迷路みたいにするやつで、痴漢騒動が起きて問題になり犯人はその後に中退しましたけど、恥ずかしいことをすると学校に居られないでしょうね。

その時の担任が受け持ったクラスが次の年もまた同じような事件を起こしてたので、先生の管理能力が無かったんでしょうね。

初めて他校の学園祭に行ったのは高2の時で、中学から仲の良かった同級生の彼女が京都女子高校に通ってたので、チケットを貰って同級生と二人で行ったのですが、当時は公立高校や男子校は入場フリーでしたけど、女子校はチケットが無いと入れなかったのでプレミアムチケットでした。

一緒に行った同級生は公立高校で共学でしたけど、自分の学校は女子が学年で30人くらいと少なく初めての女子校は新鮮だったので、嬉しくて使い捨てカメラで可愛い女の子の写真を沢山撮りましたね。

なかなか楽しかったので、次の年もチケットを貰って別の友達と行きました。

男子校の学園祭は当時、男子校だった京都の大谷高校でバンド演奏する友達がいたので1回行きましたけど、見に来てるのは女子が多かったです。

男子はあえて男子校の学園祭にはあまり行かないんでしょうね。

社会人になってからも、お客さんからチケットを貰って、大阪のプール女学院の学園祭に行きましたけど、学生の時のような感動は無かったですね。

大学の学園祭は京都の大学にいくつか行きましたけど、バンド演奏や芸能人が来てて高校の学園祭より面白かったです。

中でも京都大学の学園祭が良かったので3年連続で行きました。

3年目は社会人になってて、祭日に休みが取れなかったので行けないと思ってたんですけど、学園祭の日に初めて寝坊して少し遅れて店に着いたら、店長に「何しに来た?」って言われて「仕事ですけど」って答えたら「帰れ!」って言われたので、「じゃ、帰ります」って言って店を出て、祭日が休みの友達に電話して車で学園祭に行けたのでグットタイミングの遅刻でした。

次の日は普通に出勤しましたけど、店長からは何も言われなかったですね。

当時はインターネットも無かったので、大学の学園祭に行くと「恋人リサーチ」というのがあって、男性は有料で女性は無料でプロフィールと名前や電話番号を受付で登録すると、掲示板にプロフィールの部分だけを貼り付けるというもので、それを見て気に入ったプロフィールを受付に持っていくと、名前や電話番号のほうを男性は有料で女性は無料で貰えるというものです。

女性はどちらも無料で男性はどちらも有料なので、いつの時代も女性の方が得ですね。

でも、登録した人は相手を選べないので、危なそうな男が何枚も女性のプロフィールの紙を取ってましたけど、今のご時世では有り得ないシステムですね。

僕もコンパ希望のプロフィールを2~3枚選んで名前と電話番号の紙を有料で貰ったんですけど、電話は繋がりませんでした。

女子は無料なので噓の登録もあったんでしょうね。

ゲイのスタッフ

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美容師の時は店にいろんなスタッフが居ましたけど、大阪の難波の店で働いてた時に一つ年上のゲイのスタッフが居ました。

2月29日生まれで僕が3月1日生まれなのでちょうど1年上でした。

ゲイにも彼氏役と彼女役がいて、彼氏役は見た目は普通で一見すると普通の人に見えるんですけど、彼女役は「おねぇ」っぽいです。

店のスタッフは彼女役のほうで、時々お客さんとして彼氏役の「としおさん」が店に来てました。

彼氏が店に来る日は「今日はとしおさんが来るわ!」って嬉しそうにしてましたけど、美容師としてのセンスは抜群で水商売のお客さんの指名が多かったです。

小柄だったので男性でも着れそうな女性用の服も着てましたけど、気持ちは半分女性なので女心がよく解ったのかもしれませんね。

店の彼女が8人いるイケメンスタッフが誕生日に腕時計をプレゼントされて、普通なら嬉しいはずがとても嫌そうでした。

僕にはくれなかったので好みじゃなくて良かったです。

ちょうど難波の店で働いてた時期が、阪神タイガースが惜しくも優勝を逃して初めて道頓堀川に飛び込む人が出た時で、店を出たとこが飛び込む人が続出した通称「ひっかけ橋」だったので、その日は見物してたら終電が無くなりカプセルホテルに泊まったんですけど、何回も飛び込む人や囃し立てられて女の人も飛び込んでました。

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最近は警察が川に飛び込むのを規制したりしてるようですけど、夏場でもない時期にドブ川に飛び込むなんて、お金を貰っても嫌ですね。

合宿免許

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車の免許は高校からバイクに乗ってたので、あまり興味がなかったのですが、バイクでは行動範囲が限られるので、24歳の時に大阪で勤めてた店を休んで合宿で取りに行くことにしました。

最短17日間で日曜日は教習休みで料金は20万円でした。

当時、普通に教習所に通っても20万円くらいだったので、宿泊費と食費込みの合宿はお得でしたね。

教習所の場所は数か所から選べたのですが、時期が1月だったので日曜日にスキー場に行ける、最北端の山形県にある新庄市の教習所に行くことにしました。

夏場なら海が近い鳥取とかにしたんですけどね。

行きは伊丹空港から飛行機だったのですが、ジェット機ではなくプロペラ機でした。

旅客機はジェット機が当たり前だと思っていたので、プロペラ機が運行してることには驚きでしたね。

空港からは迎えの車で教習所まで行ったのですが、宿泊施設は教習所の近くにあるビジネスホテルと送迎バスで送り迎えのある温泉旅館でした。

僕が宿泊したのは歩いて行けるビジネスホテルでの二人部屋でした。

食事は朝夕がホテルでの食事で昼が教習所での弁当です。

食べ盛りの年頃だったので、それでは足りず空き時間に教習所の近くにあるファミリーレストランやケンタッキーによく行ってました。

ビジネスホテルのほうは男性だけで、いつでも歩いて帰れるのですが、温泉旅館のほうは男女混合で送迎バスの時間にしか帰れません。

夜遅くにタクシーに乗って女子の部屋に遊びに行ったり、女の子と飲みに行ったりもしましたが、宿舎は教習所から近いほうが何かと便利でしたね。

一番仲良くなったのは同じ日に入所した、嫁が友達と浮気してバツイチになった男で、離婚直後は浮気相手を刺してやろうと包丁を持ち歩いてた危ないやつです。

車の事故で免許取り消しになり合宿に来たそうです。

他にも少年院を出てきたばかりの男や、右翼のおっちゃん、彼氏がヤクザの女、教官にも反抗的で三ヶ月くらい滞在してる、いつまでも卒業出来ない女等々いろんな人間の宝庫で、言葉も地元の教習生は18歳を迎えた高校生が多く、「~だっぺ」みたいな東北弁で合宿生は関東から来てる人が多かったので関東弁が多かったですね。

スキーは有名な蔵王スキー場も少し足を伸ばせば行けたのですが、電車で道具もウエアもレンタルで地元のスキー場に2回行きました。

当時は普段履きに革靴を履いていて、スキー場でのバイト経験のあるバツイチの男に、革靴でスキー場に行くやつは初めて見たって言われたのですが、普通は革靴でスキー場には行かないでしょうね。

ある日の晩、合宿生数名で歩いてカラオケに行ったのですが、バツイチの男が地元のヤンキーと揉めそうになりました。

その場は止めたんですけど、その後に地元のヤンキーと仲良くなりヤンキーの車でボーリング場にも行きました。

雪国の大きい道路は除雪と道路から出るお湯で道路には雪が無いのですが、狭い道路では雪が残っておりスタッドレスタイヤでも簡単にドリフトが出来ましたね。

免許を取る前はスタッドレスタイヤを知らなかったので、雪国ではタイヤチェーンを付けるものだと思っていましたが、一度も付けることはなかったです。

ある日、同室のやつが地元のヤンキーとの飲み会に連れて行かれたんですけど、かなり飲まされたみたいでベロベロになって帰ってきて部屋で吐いてました。

それ以降は、誘われても二度と飲みに行くことはなくなりましたね。

雪国は天気に関係なく毎日雪が降るんですけど、1日だけ朝から雪が吹いてて、前は数メートル先が見えないし歩道は除雪された雪で数メートルの壁が出来てて歩けないので、教習所まで行くのが大変な日がありました。

けど、寒さは冷蔵庫の中にいるような感じで大阪とは違う寒さで、さほど寒さは感じなかったですね。

卒業までに卒検に1回落ちたので2日延長になり、19日間で22万円掛かり合宿中に8万円使ったので、掛かった費用はトータルで30万円です。

帰りは飛行機ではなく、電車で帰ることになってたのですが、電車は乗り換えも多く寝れないので、同じくらいの料金で仙台から大阪の上本町までの夜行バスが出てたので、仙台までバスで行ってから夜行バスに乗ることにしました。

帰る日に一足先に右翼のおっちゃんが駅に向かったのですが、駅に着いた途端に警察官に連れて行かれたのを別の合宿生から駅に着いた時に聞きました。

おっちゃんが何をしたのかは解りませんが、警察も逮捕するのに合宿が終わるまで待ってたんでしょうね。

仙台から大阪までは夜行バスで12時間掛かったんですけど、仙台の町は神戸と姫路のちょうど中間くらいの感じで、市街地の直前まで山道をバスが走ってたので、市街地を外れると何もないとこですね。

19日間の合宿でも最初の一週間で学科は全て終わるので、あとは1日2時間車に乗るだけなので、旅行気分の楽しい合宿でした。

カット専用店

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美容師時代はいろんな店で働きましたけど、一番大変だったのは最後に働いたQBハウスです。

全国に直営店とフランチャイズ店がある、いわゆるカットだけのカット専門店です。

長い間、料金は1000円でしたけど、消費税の増税で1080円になり今は1200円のようです。

値上げの前は1000円札専用の券売機でチケットを買うシステムだったのですが、値上げと同時に全店舗の券売機も変えなければならず経費が掛かったのでしょう。

カットだけなら楽なのでは?と思う人もいるかもしれませんが、店舗にもよりますが開店から閉店までお客さんが絶えません。

営業時間は長い店で9:00~21:00で、カットタイムは基本10分なのですが、10分以上掛かっても料金は変わりません。

カットの後に掃除機で毛を吸い取って終わりなのですが、これもタイムが決まっており綺麗に毛くずを吸い取ることが出来ず、特に夏場で汗をかいてると余計に毛が残ります。

スタッフも最小限の人数で2~4人です。

この人数で忙しい店だと1日に200人近いお客さんが来るのでかなりハードです。

スタッフ不足で日によっていろんな店に行かねばならず、通勤も大変でした。

店はショッピングセンターや駅にあるので店内にトイレは無く、ショッピングセンターや駅のトイレに行かなければなりません。

休憩は昼に2~30分と後は2時間ごとに10分の休憩を交代で取る、計1時間で控室も狭くて職場環境としては最悪でしたね。

お客さんの9割以上は男性で、その中の9割が文句も言わない良いお客さんなんですけど、1割くらいが文句を言う、うるさいお客さんで慣れたスタッフは上手に対応しますが、厄介なお客さんの対応が一番大変でした。

本部から抜き打ちで、お客さんを装って監査に来るので丁寧な仕事や接客を心掛けねばならず、カットもドライカットだとハサミも直ぐに傷むのでスタッフの負担は大きかったですね。

高料金の店ほどクレーム客は少なく低料金の店ほどクレーム客が多いので、究極のクレーム客が多い店ですね。

フランチャイズ店で働いてたんですけど、男性客が多いのにスタッフは美容師が多く理容師が居る店は1店舗だけでした。

給与は人によって違い直営店では社会保険があるけど、フランチャイズ店では社会保険が無く、平均給与が32万って言ってました。

美容師より理容師の方が給与の高い店が多いので、理容師はもっと給与の高い店に行くんでしょうね。

 

 

日本拳法

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小中とクラブ活動はしてなかったのですが、高校で日本拳法部に入りました。

空手着か少し厚手の専用道着を着て、面と胴と金的とグローブを付けて打撃の他に関節技や寝技まである喧嘩のようなスポーツです。

関西は裸足ですけど、関東では専用の靴を履いて試合をするって関東から来た日本拳法経験者の社会科の先生が言ってました。

入部した部員は同学年でトータルで50人くらい居ましたけど、引退まで残ったのはわずか8人でした。

とても、女の子にモテるスポーツではなかったですね。

試合時間が3分だったんですけど、フルに3分戦うとかなりハードで今は試合時間が2分に短縮されてます。

ルールはノックアウトではなく剣道のようなポイント制で先に2本取った方の勝です。

金的を狙うのは普通は反則だと思うんですけど、立派な技でポイントが入ります。

試合中の打撃では黙っててはポイントが入らないので「めーん‼」とか「どーう‼」っていう声出しが重要で、効いてなくても声出しでポイントが入ったりします。

柔道のような体重別ではなく、顧問の先生が小柄だったので蹴ってきた相手の足を取って下から金的を蹴り上げる技が得意だったと言ってました。

試合で金的は一度も蹴られたことはなかったですけど、蹴られた人はかなり痛そうでしばらく動けませんでした。

小柄では寝技は不利だしリーチも短いので動き回るのが重要ですね。

反則は相手に背中を向けて逃げることくらいです。

帯の色は白、茶、黒色とあって、白が無級で茶が公級、黒が初段からでした。

昇級するには同じ等級の人と試合をして勝たなければなりません。

公級は一人勝つだけで昇級できるけど、初段からは連続で二人、三人と勝たなければならず相当体力が要ります。

顧問の先生が3段で部員では2段が最高でしたね。

当時、ボクシングの世界チャンピオンで現在はヤクザの渡辺二郎日本拳法の5段で、大会を見に来てた時に部員がサインを貰いに行ってました。

日本拳法では収入が無いのでボクシングに転向したんだと思うんですけど、その後にヤクザとは元世界チャンピオンも地に落ちたものです。

島田紳助の引退の原因になったヤクザとの関わりも渡辺二郎だったそうです。

試合は体重別も無く何でもありなので、テレビの格闘技の試合よりよっぽど迫力があって面白かったですね。

応援する時に「ファイトー‼」とか叫ぶんですけど、他の学校では後輩が先輩を応援する時は「ファイトー‼」ではなく、「ファイトで~す‼」って応援しないといけないみたいで、うちの学校は一期生で先輩が居なかったので、みんな「○○ファイトー‼」でした。

他のスポーツでも後輩が先輩を応援する時は「で~す」を付けるんでしょうかね。

 

 

 

ゲーム&ウォッチ

子供の頃の楽しみと言えば、マンガやプラモデルの他にLSIや白黒液晶の電子ゲームがありました。

中でも任天堂ゲーム&ウォッチは人気でした。

当時、中学生でおこずかいを貯めて初めて買ったのが、ワイドスクリーンの「オクトパス」でした。

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海底に潜って、たこの足を避けながら財宝を取って船に戻るゲームです。

ある時、よく行くおもちゃ屋ゲーム&ウォッチの大会がありました。

ゲームの種類は指定がなく、自分のゲーム&ウォッチで参加するという大会で、ルールはタイムスコアを競うもので、ゲームによって有利、不利がありました。

一番有利だったのは、工具をよけながら家から家に移動する「ヘルメット」で、優勝者は「ヘルメット」で参加した人でした。

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「オクトパス」で優勝は出来なかったけど、入賞はして商品を貰いました。

その他にもいろんなゲーム大会がありましけど、今と違って単純なゲームで楽しめた昔が懐かしいですね。

 

鳥を掴む男

大阪で難波の「かぐや姫」で働いてた時の話しです。

三つ年下で、鳥取出身で甲子園に出たスタッフが居ました。

チームのキャプテンで、1回戦で当時強かったPL学園と当たり1回戦で敗退したそうです。

卒業後、野球の実業団のチームがある会社に就職したけど、片を壊して美容師に転職したそうです。

一人暮らしで、当時人気の赤いフェアレディZに乗ってて、ヒップホップのダンスも踊れるイケメンでした。

何より凄いと思ったのは彼女が8人いることで、それも隠れて付き合ってるのではなく、みんな了承済みで付き合ってるということでした。

それで、慰安旅行で琵琶湖に行ってミシガン船に乗った時のことなんですけど、船の周りに何処から来るのか沢山のカモメが集まってくるんですよねぇ。

それで、そのスタッフが手にスナック菓子を持ち、近づいてきたカモメを素手で掴んだんです。

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掴まれたカモメは、くちばしで手をつついてそのまま飛んでいきましたけど、さぞかし驚いたでしょうね。

人間に近づくのがトラウマになったかもしれないですね。

それにしても飛んでる鳥を素手で掴むとは、さすが甲子園に出ただけのことはありますね。

路上ライブ

美容師時代の7年前に、四ヶ月ほど出張に行った愛知県のプラージュで働いてた時の話しです。

最初は春日井市駅前にある春日井店で働いてました。

マンションの一階に店があり、上の階に寮として使ってる3DKの部屋があったので通勤はとても楽でしたね。

他に寮生は居なくて元々、三人で使う部屋を一人で使ってたので快適な寮生活でした。

一ヶ月ほど経って、電車で10分ほどの名古屋北部の大曾根店に転勤になりました。

名古屋ドームに歩いて行ける所で中心街ではないけど、そこそこ栄えた場所です。

仕事は8:30~19:00までだったので、春日井店の時は店の自転車でいろんなスーパーを回って晩飯を買いに行ってたんですけど、大曾根店の時は帰りに途中下車してスーパーに寄って買い物をして帰ってました。

この、大曾根駅の周辺は路上ライブをしている若者が沢山いて、よく演奏を聞いてから帰ってました。

ある日、キーボードを使って路上ライブをしている女の人がいました。

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宮崎奈穂子っていう当時25歳のシンガーソングライターでオリジナル曲やカバー曲を歌ってたんですけど、すごくいい感じで手売りのサイン入りCDを思わず買ってしまいました。

今年の6月にデビュー10周年記念アルバムとして、ビクターから初めてメジャーCDを出したんですけど、それまでは店頭にはCDは置いてなくて、路上ライブをしながら手売りでCDを売ってたそうです。

その日も夜行バスで東京に戻るって言ってましたけど、当時は武道館ライブを実現するためにいろんなところで路上ライブをしてました。

武道館ライブを出来るくらいまでチケットも売れて、武道館ライブは実現したんですけど、テレビにはほとんど出ていなくて、YouTubeでの動画アップが多いですね。

買ったCDを寮に帰って聞いてみたんですけど、何かが違ってました。

路上ライブでの感動が無いんですよね。

生歌とCDでは全然違う感じでした。

今でも路上ライブは続けてるみたいで、地味なアーティストですけど努力家なので、買ったサイン入りCDが価値が出るくらい頑張ってくれたら嬉しいです。